最近、あるところで話題になってゐる『だうも』問題。まづグーグル先生に實態を確認することから始めてみませう。
"どう思う" | 5270000 |
"どう思ふ" | 3310 |
"だう思ふ" | 10 |
最初は現代假名遣ひ、二番目は正假名遣ひ、最後は誤用です。300件に1件の割り合ひなので、それほど多くはないやうです。間違へた人は、誤用は誤用として、素直に書き直せばいいだけだと思ひます。論爭が不利になったあとに論理展開を書き換へるとちょっと格好惡いですが、假名遣ひなんて、誤用は誰でも多かれ少なかれするのだから、後で讀みにきてくれる人のために、正しい假名遣ひに訂正しておけばいいだけです。
それと『だうも』學説は、ちょっと聞いたことがないですね。鯨なら「くじら」「くぢら」の二通りありますけど、さういふのは相互不干渉で、お互ひ爭ひになることはないでせう。鯨問題と『だうも』問題の大きな違ひは、一方が「詞」であるのに對して、もう一方は廣義の「辭」です。「詞」には搖れが許されても、「辭」の部分は規範意識が強い部分です。なぜかといふと、「辭」は文法構造を明示する機能を持ってゐるので、「辭」の表記が搖れると文章が分りづらくなるからです。
- ビーナスを見た。
- ビイナスを見た。
- ヴィーナスを見た。
- ヰ゛ーナスを見た。
は表現方法の問題ですが、
- ビーナスお見た。
では、知性の問題になってしまひます。『だうも』という表記は後者に近いですね。
現代假名遣ひ擁護者だって、知性が疑はれるのを恐れて「は」「へ」「を」を「わ」「え」「お」と書く人はゐないです。これでは現代假名遣ひのどこが合理的なのでせうか?