「Tokyo」のつづりこそローマ字最大の英語従属精神では?

(2023/06/02) (現カナ)

 ツイッター社が一か月ログインしないアカウントは消すという真偽不明の情報が流れて以来、ツイッターの更新をまた始めました。雑誌記事の要約をローマ字にして書くにはツイッターの制限長はちょうど良く、ローマ字ブログよりは長続きしそうです。また、読む方も280文字はちょうど良い長さです。
 さて、ログインのついでに、ローマ字関係の話題をツイッター内で探すのですが、相変わらず、関心事は「訓令式」VS「ヘボン式」で、しかも漢字仮名交じり文で議論するという明治以来何も変わっていない状況です。
 良く言われるのが、ヘボン式は英語従属精神の現れであるということです。確かに間違っていないのですが、私の考えでは、「Tokyo」というつづりを受け入れる精神こそ、最大の英語従属精神です。訓令式の「Huzi」もヘボン式の「Fuji」も「フジ」であることに変わりなく、日本語は壊されていません。ところが、「Tokyo」は普通に読めば「トキョ」です。英語では「o」には「オ」と「オー」の両方の読み方があるから、日本人は、「Tokyo」を見て「トキョ」「トーキョ」「トキョー」「トーキョー」の選択肢から「トーキョー」を選ぶことを無理強いされているわけです。これこそ日本語を壊しています。
 それに対して、「Tokyo」は正式には「Tôkyô」か「Tōkyō」なのだから、問題がないと、「漢字仮名交じり文」で反論が来ますが、あまり説得力がありません。ローマ字で「ô」や「ō」をタイプするのがどれだけ大変なことか、好事家が個人的に入力方法をカスタマイズすれば済むわけでなく、初心者がどこでも簡単にタイプできるようにならなければ意味がありません。それ以前に「ô」や「ō」はパスポートで使えないという現実の前では、今までの苦労が吹き飛んでしまいます。
 となると、「Tôkyô」は「Tookyoo」か「Toukyou」とつづるべきで、どちらが良いかというと、現代仮名遣いと一対一の対応関係にある「Toukyou」のほうでしょう。今更、ローマ字と仮名遣いで二重規範になるのは教育コストの無駄です。これを言い出すと「ou」はフランス語では「ウー」になるから避けるべきと反論が来ますが、それを言い出したら「oo」のほうこそ英語で「ウー」になります。「ou」だけに目くじらを立てるのは、当事者も気づいていない別のコンプレックスがあるのは知っていますが、深追いはしますまい。
 子供の絵本は、現代仮名遣いの平仮名で書かれています。日本人は、平仮名だけでも文章を読み取る教育を受けています。ローマ字のつづりは現代仮名遣いをそのまま置き換えるだけで十分です。「ô」や「ō」を正しく使いこなすには、新しく長音の教育が必要になり、しかもアメリカ人から無神経にも「^」等は取り除かれてしまいます。これが「ou」であれば、いかに無神経なアメリカ人でも「u」を取り除くことはしないでしょう。