小形氏の怒り

 上記日記のコメント欄に書いたのだが、それに續くコメントがあまりにも小形氏の怒りを理解できてゐなくて氣の毒である。もちろん、私と小形氏は國語政策についてスタンスが違ふので、小形氏の怒りを完全には理解できてゐるとは言へないが、それでも他のコメント欄の書き込みよりは理解してゐるつもりである。
 實は、私は、新常用漢字表に對して批判的な立場であるが、それでも正字正假名遣ひの傳統に近づけるために、前向きな立場として、訓讀みの大幅擴充を意見公募で提案した。漢字檢定辭書から過去に出題のあった訓讀みを拾ひ出し、しかも、同訓異字の混亂をなるべく増やさないやうに選定した。この作業のために一ヶ月間土日を潰した。もちろん、私はこれが採用されるなどとは思ってゐないが、問題は、新常用漢字表關係者の姿勢だ。
 私は、過去において他の規格でも意見公募があるときには、なるべく應募するやうにしてゐる。前向きな提案もすれば批判的な意見もする。提案が通ることはまづないが、それでも、規格側は定型文で「應募への感謝と參考意見としての受理」を返信してくる。
 ところが、今回は返信がない。新常用漢字表の關係者が、いかにデータと調査を輕視してゐるか良く分かる事例だ。小形氏は、彼のコラムを讀む限り、非常にデータを重視し、自ら調査をしてゐる。さういふ點で私と立場は違っても彼の苦勞がよく分かる。例へ目安であらうが、國家が漢字制限を國民に強制するのなら、國家自身が、自らのデータと調査に敬意を拂ひ、漢字使用に責任を持つべきであらう。
 それをする氣がないのなら、データ蒐集も調査もやめてしまへといふことだ。無意味な常用漢字表のためにどれだけの時間と勞力を浪費してゐるか理解してゐるのか?しかもそれは國民の税金だ。だから、私は、以前の日記で、新常用漢字表なんて官僚の雇傭對策だと書いた。民間なら眞っ先にリストラされるべき部門だ。