和語と数詞

×1 ×10 出典 ×1 ×10 出典
1 ひとつ (とを) 2 ふたつ はたち 源氏物語
3 みっつ みそぢ 方丈記 4 よっつ よそぢ 徒然草
5 いつつ いそぢ 方丈記 6 むっつ むそぢ 方丈記
7 ななつ ななそぢ 竹取物語 8 やっつ やそぢ 古今著聞集
9 ここのつ ここのそぢ 増鏡 10 とを (ももか) 枕草子

 「モモ・チ・ヨロズ」だけではない。100以下の数字にしても、10は「とお」、20は「はた」と表現され、共通性は見られないのに、30以上になると、「みそ」(三十)、「よそ」(四十)、「いそ」(五十)、「むそ」(六十)、「ななそ」(七十)、「やそ」(八十)、「ここのそ」(九十)と、「十」に当たる部分が「そ」と統一的に表現されている。

 確かに、漢字伝来までは和語には21以上の概念がなかったのかも知れないが、上記の表で明示したやうに著名な出典があるのだから、和語による数字の命名も必要だったのだらう。残念ながら「100」については、日にちの出典しかなかった。さすがに「ももぢ」まで生きる人はゐなかったのか?

 ちなみに、「そ」について、前掲『岩波古語辞典補訂版』は「朝鮮語son(手)と関係あるか。」と書いている。『世界的に見て、五と十は『手』と関係ある単語であることが多い。」という。
 このようなことを考えると、やはり「大和言葉」というか、列島語中に「元々」存在したのは、せいぜい「はた」(20)までであり、「みそ」から「ここのそ」にしても、「そ」と朝鮮語sonとの関係が指摘されているように、当時、列島で話されていた各種の言語(前日本語や前朝鮮語、前中国語、その他等々の語)から、言葉を選び出して、漢字・漢語の「訓読み」、つまり「新生大和言葉」が新たに制定されたのではないかと考えるのである。

 相変はらず、岩波古語辞典はト印辞書だ。朝鮮語で「ソン」を10の単位に使ってゐないのに、なぜわざわざ日本語との関連性に触れるのだらう。むしろ「うま(馬)」や「うめ(梅)」のやうに漢字音を和語化するのが当時の借用法だ。確固たる出典がある類似の借用例を示してほしいものだ。岩波には、他にも同様のト印語源説があるのは有名だ。漢字が先か訓読みが先かの議論はあるが、10世紀から15世紀ぐらゐまでは和語による数詞もそれなりに使はれてゐたのだらう。