紙と手書きの時代

 紙と手書きの時代は文字言語の世界では傍流になったといふことを無視してゐるから、滑稽な論理になる。

そこで、キーボードから「b,a,r,i,z,a,n,b,o,u」と打ち込む。
すると、「罵詈讒謗」という目もくらむような難しい漢字になんなく変換される。

このように、今日ではローマ字を経由してやっと漢字にたどりつく。

ローマ字を導きの星として、わたしたちは漢字へのはるかな旅に出立する…。

何となく詩的なイメージだが、漢字としては面白くないにちがいない。

 もし、漢字に人格があるとすれば、従来「罵詈讒謗」は手書きで何十画にも及び、しかも誤字か略字で書かれる危険性があったものが、今では10回ボタンを押すだけで正字を正確に再現してくれるのだから、すごく快適な時代が来たと感謝すると思ふのだが、この人は、未だに文字言語は紙に手書きで書かれるだけのものだと思ってゐるのだらうか?ボタンの位置は、記憶上負担が少ない方式として、大半の人がたまたまローマ字を選択してゐるが、仮名入力でもいいし、IMEに辞書登録をして、ボタンひとつで呼び出せるやうにしても良い。ローマ字である必然性は何もない。

 ところで、先日紹介した『日本語力の磨き方』(ISBN:9784569696522)108頁に次の一節がある。

 まず、「日本語ワープロ」というのは、基本的に良い道具です。なにしろ、(おと)で打つと漢字仮名交じりの文を出してくれるのですから、漢字の見分けさえできれば、漢字が書けなくてもまともな日本語文が作成できます。
 第五章に、ドナルド・キーン氏ほどの日本文化研究者でも、かつては日本語で文章を書くことができなかったが、ということを紹介しましたが、現在では、マーク・ピーターセン氏やリービ英雄氏のように、自在に日本語で書ける人が出てきました。それは、(いつ)にかかって日本語ワープロができたせいです。これがなければ、いつまでも日本語の文章は日本人にしか書けないという状態が続いていたでしょう。

 この書物の著者は漢字否定派なのだが、このやうに、教条的表音主義者なら、無意識に、はたまた意図的に、いや確信犯的に無視してゐる漢字に有利な情報をさらりと載せてゐるところが面白い。予備校の講師だから根は純朴なのだらう。そこが高級官僚や大学教授とは違ふ点だ。

※(2009/05/14補足) 取消し線にあるキーン氏に関する記述だが、著者が「かつて」の日時を明示してゐない以上、情報として意味をなさないので削除する。闇黒日記五月十四日を参照。