アーティストの死

 現時点で、アーティストの死といふ表題を使へば、間違ひなくマイケル・ジャクソンのことであるが、この記事を書かうか書くまいか迷ってゐた。しかし、ブログをいろいろ見たところコメントを残したくなった。まづご冥福をお祈り申し上げたい。
 マイケルの死について言及するプロガは、大半が間違ひなく30代後半から40代である。マスコミや唯物論者の左翼を除けば、人の死を冒涜するやうな記事を書けるはずはないので、マイケルの絶頂期を知らない20代や60代のブロガはこの件には深入りしないはずだ。ひとこと追悼の辞を述べるぐらゐだ。
 そして、マスコミが、マイケルの死をサスペンスドラマのやうに好奇の目で分析したり、無罪になったはずの幼児虐待映像をしつこく流してゐるのに対して嫌悪感を覚える。それとは対照的にブロガ達は敬虔な気持ちで追悼してゐる。確かに50歳の死は早すぎて残念でもあるが、優れたアーティストの死は悼むべきものであって、死の真相を好奇の目で見る気持ちにはなれない。
 一昔であれば人生50年でも立派に生きた方であり、薬物濫用と言はれても、それは彼のやうな才能と感受性と完璧性を備へた人間にとって必要なものであって、犯罪性や事件性がなければ、マイケルは優れた芸術を残し天寿を全うしたと考へるのが自然な解釈だらう。実際、私と同じやうな考へを持つ人は多い。マスコミが視聴率稼ぎのために「スキャンダル帝王と疑惑の死」の編集をしても、それは視聴者とマイケルを冒涜する編集であり恐らく逆効果であらう。実際、私はそのやうな編集になるとチャンネルを変へるやうにしてゐる