文字コードと新常用漢字表

 新常用漢字表で争点になるのは次の四つであらう。

  • (1). 存在、改訂の意義
  • (2). 収録漢字
  • (3). 収録音訓
  • (4). 収録字形

 (1)については、制定委員に「新常用漢字表は無駄ですよ」と説いても多分無駄な労力になるから争点にしても仕方ない。ただ、私は、常用漢字表には準教育用漢字表としての存在価値も多少あると思ってゐる。いくら漢字制限は望ましくないと言っても、子供や外国人に対して権威のある機関が目安として習熟度別漢字表を示さないのは、学習の到達度が評価できず別の意味で不便である。
 (2)については、文字コードと衝突することはまづあるまい。人名用漢字のおかげで、いや、せゐで、日本の法令漢字を扱ふためにはユニコード対応が必須になったが、ユニコードにも収録されてゐない漢字がいきなり新常用漢字表に収録される可能性は皆無であるからだ。
 (3)については、更に文字コードと衝突する可能性はない。文字コードは個々の文字の読み方を規定してゐないからだ。
 (4)について、正にこれこそ悪魔の衝突になるだらう。お互ひの原理原則が真っ向から衝突して譲歩もできない事態になる。

 と後出しの予測みたいな書き込みになったが、これは新常用漢字表制定の動きが出た時点から予測できたし、事実その通りになってゐる。したがって、私が公開レビューに提出したのは(3)に関連する部分である。音訓の提案であれば、制定委員も政治的な動きに惑はされず学問的良心に添って評価してくれると思ったからだ。(それでも、過去において盲(めくら)の削除を自慢する委員がゐたらしい。)
 逆に、私は(4)の地雷について言及することは避けた。ウェブで一番熱く議論されてゐるのが(4)のやうだが、先日言及した「包摂規準の共通認識」が一致してゐれば、例示字形が二点之繞であっても教科書の運用で一点之繞にすることは問題でないし、逆に文字コード側で例示字形を一点之繞に変更することも包摂規準の範囲内だから別の意味で問題でない。本来なら争点になりやうがないのだ。しかし、ここが新常用漢字表制定で最も熱い争点になってゐるのは、双方で「包摂規準の共通認識」にズレが生じてゐるからであらう。