助動詞は、「使役」=「受身」>「否定」>「過去」>「丁寧」>「推量」といふ順に客観から主観に移り変はる。この順序で発話すると思考の流れに沿ふ。以下の表で「否定」から「推量」までの表現をまとめてみよう。
否定 | 過去 | 丁寧 | 推量 | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|
書く | |||||
書かう | ○ | ||||
書いた | ○ | ||||
書いたらう | ○ | ○ | 書いた・だらう | ||
書き・ます | ○ | 書く・です× | |||
書き・ませう | ○ | ○ | 書く・でせう | ||
書いた・です× | ○ | ○ | 書き・ました | ||
書いた・でせう | ○ | ○ | ○ | 書き・ました・でせう | |
書かない | ○ | ||||
書く・まい | ○ | ○ | 書かなからう、書かない・だらう | ||
書かなかった | ○ | ○ | |||
書かなかったらう | ○ | ○ | ○ | 書かなかった・だらう | |
書かない・です△ | ○ | ○ | 書き・ません | ||
書かない・でせう | ○ | ○ | ○ | 書き・ません・でせう | |
書かなかった・です△ | ○ | ○ | ○ | 書き・ません・でした | |
書かなかった・でせう | ○ | ○ | ○ | ○ | 書き・ません・でした・でせう△ |
左端にある表現が思考の流れに沿ってをり、会話などで咄嗟の受け答へをするときは、まづ左端の表現を使ふ。また、「書き・ませう」→「書く・でせう」、「書いたらう」→「書いた・だらう」、「書く・まい」→「書かなからう」→「書かない・だらう」、「書かなかったらう」→「書かなかった・だらう」は、選択する助動詞が違ふだけで、思考の流れは変はらない。
ところが、「書き・ました」「書き・ました・でせう」「書き・ません」「書き・ません・でした」、「書き・ません・でせう」、そして、いささか冗長な丁寧表現「書き・ません・でした・でせう」は、思考の流れを乱してをり、校正のできる文章や原稿を用意したスピーチでは正しく使はれても、咄嗟の会話では、誤用とされてゐる「書いた・です」や、文章では抵抗感がある「書かない・です」「書かなかった・です」が使はれてゐる。そして、多重丁寧の「書き・ました・でせう」「書き・ません・でした」「書き・ません・でした・でせう」よりは、思考の流れに沿った「書いた・でせう」「書かない・でせう」「書かなかった・でせう」が好ましいとされてゐる。
さて、形容詞+「ない」の問題だが、「書かない」を形容詞と見なせば理解しやすいと思ふ。過去と丁寧に関連する活用形が形容詞で整備されてゐないのが一因だ。この問題を解決するには、「美しく・ある」といふ軍隊的な表現を導入して活用形を整備するしかあるまい。実は、形容動詞ですら、「〜でした」といふ、思考を倒置した表現よりも、「〜だった・です」といふ、思考の流れに沿った表現が会話では使はれる。
※ところで、口語では意志と推量の表現が分裂してをり、それぞれ、「書かう」対「書く・だらう」、「書き・ませう」対「書く・でせう」、「書く・まい」対「書かない・だらう」のやうに分裂してゐる。意志を示すときは前者しか選択肢がない。一方、推量のときは前者でも後者でも可能だ。また、否定丁寧意志といふ表現は、「書き・ます・まい」などがあるが、肯定意志と違ひ、否定意志は思考中に逡巡するものがあり、丁寧な文脈では婉曲的で間接的な表現を使ふので、直接的な活用形は整備されてゐない。