当用漢字ハンドブック - 抜き書き

当用漢字ハンドブック - 抜き書き (http://www4.kcn.ne.jp/~yoitiro/hbook.html)

松坂忠則氏の書いた貴重な資料なので、敢へてリンクを貼つて永遠に參照できるやうにしよう。

これと同じ発音を示すべき文字が別にある - 「お」 - から一音一字の趣旨には反するがしかし一字一音の趣旨には反しない。

それではなぜ助詞のばあいにも「お」をもちいないかというにこれまた習慣を考慮したことは事実であるがそれだけでなく接頭語の「お」との区別をハッキリさせる目的もあるのである。

すなわちもし助詞を「お」で書くことにすると「病気お見舞に行く」などのばあいこの「お」が助詞なのか見舞に添えた接頭語なのかわからなくなる。

「ゐ」「ゑ」を廢止した理由と大きく矛盾してゐる。結局、意味による假名の書き分けを無視できなかつたやうだ。「車がいる」と「車がゐる」の使ひ分けと「病気お見舞」と「病気を見舞」の使ひ分けに本質的な差異があるとは思へない。

たとえば「氷」は「こほり」の「ほ」が「オ」と発音されるものであるから「顔 - かお」などと同じように「こおり」と書くのであるが、「行李」はこれとおなじように発音するのに「こうり」と書くことを本則としているのである。

したがってこれを正しく書きこなすのには結局、旧かなづかいを知っていなければならないということになってこれでは現代かなづかい制定の趣旨にも反する。

こうした悩みの生じたのも原因は旧かなづかいと妥協したことにあるのであるが、しかし実際問題としては「お」で書くべき語の主なものを承知しておけばたいていのばあい間にあう。それはつぎの四語である。

大きい 多い 通る 遠い

すなわちこれらは「おおきい、おおい、とおる、とおい」と書かなければ誤りとなる。

「あふぐ」「あふひ」「たふす」を「あおぐ」「あおい」「たおす」と書き換へたことと、「おほきい」「おほい」「とほる」を「おうきい」「おうい」「とうる」と書き換へることに本質的な違ひはないと思ふ。結局、オ段長音に關しても意味による使ひ分けが必要になつた。

これらは旧かなづかいが「おほやけ、ほほのき」であるから「おおやけ、ほおのき」が正しいがしかし旧かなづかいを知らない人なら迷うのが当然である。

そのような時は「お」で済ませたらよい。

そのわけはさきに述べたように長音でも「お」で書くことが許されているからである。

つまり迷うことばはすべて元来「お」で書くべきものか「お」で書くことが許されているものか二つのうちのどちらかであるから迷ったら「お」にすることにしておけばまちがいはないのである。

松坂氏本人は、オ段長音は「お」の後置で對應したかつたと讀める。これはこれで筋は通つてゐる。

しかしたとえば「基づく」などはあえて国語の専門家でなくても「もと」と「つく」との連合であることをかすかに意識するのが普通であろう。

このようなものは「もとづく」でも「もとずく」でもどちらでもさしつかえない。

それはあたかも「けぶる」も「けむる」もどちらも標準語であるのと同じことで正当な理由のあるものは二通りに書かれてもさしつかえないことである。

松坂先生らしからぬ弱氣なコメントだと思ふ。一音一字主義を貫くのなら「ぢ」「づ」は今後一切廢止してほしかつた。最後は、「ぶ」「む」を例に出してゐるので、「ず」「づ」も音韻的に區別できるとでも言ひたいのであらうか。また、引用はしなかつたが、四つ假名の使ひ分けには連濁の概念が必要といふ結論付けもしてゐた。それなら、正假名遣ひを使ひ、純粹に語源で區別する方が近道だと思ふ。

そのためあまり注目されることはないが、現代かなづかいについてこれだけ説得力のある文章を他に知らない。

これは、松坂氏本人ではなく引用者のコメントである。異論はあるが敢へてここで反論すまい。貴重な資料をネットに公開してくださつた引用者には感謝してゐる。松坂氏の著作は大半が絶版になつてゐる。