『だう』學説について

 鳩笛雜記帳(id:twoineko:20080809)經由で、『だう』學説が、the view from nowhere(http://snob.s1.xrea.com/l/20080730.html)に紹介されてゐた。ただ、『だう』表記に關しては、批判された人が、即座に學説のソースを明示できなければ、それは單なる誤記だったといふことになるでせう。
 ところで、紹介されてゐる學説を見たところ、字音假名遣ひに似た理論的類推も感じる。「かう」「さう」が開長音なんだから、「ドー」も開長音だったはず、といふ言ひ分は、出展と慣用を重視する假名遣ひの原則からは逸脱してゐるやうな氣がする。
 そもそも、開長音、合長音を類推して、出展があやふやなのに表記を決めたがるのは、表音主義者の特徴ぢゃないのかな?鯨に「くじら」と「くぢら」の雙方とも出展があるのと比べて、『だう』説は學説的に弱い氣がする。
 假名遣ひの場合、新語の表記は、複合語で語源が分かる場合を除き、その時代の發音で表記するのが原則だと思ふ。だから、古語辭典にも載ってゐないやうな現代語を古風に書くのは滑稽ぢゃなからうか?