特集「訓令議事録」: 表音表記の二重規範

(2019/12/15)

 1953年(昭和28年)、ローマ字のつづり方の内閣訓示前に、既に現在の混乱を予想したやうな記述があります。

5 学習上混乱を起こさないための注意
(中略)
【問】現代かなづかいの表わし方と、第1表のローマ字による書き表わし方との間に一致しない点があり、また、途中でつづり方が変わるために、学習上混乱が起るようなことはないでしょうか。
【答】現代かなづかいでは、いわゆる連濁・連呼によって生じた〔ジ〕〔ズ〕の音は、「ぢ」「づ」のかなを用いて書くのですが、第1表のつづり方によれば、この場合にも zi, zu と書きます。〔たとえば、mikazuki(三日月)、tizimu(縮む)など。〕すなわち、ローマ字による書き表わし方と、現代なかづかいによる書き表わし方とが一致していない点をやかましくいい、ローマ字の書き表わしかを、かなの書き表わし方に合わせるべきだという主張もありますが、もともとこの両者はそれぞれ独自の体系に基いて決められていますので、両者の一致していない点は、単に連濁・連語の場合だけでなく次に掲げるような点においてもその不一致が見られるのです。
(※一部抜粋)

現代かなづかい ローマ字
長音 おおきいわねえ ôkii wa nê
おとうさん otôsan
助詞 本を読む Hon o yomu.
それは本です Sore wa hon desu.
うちへ帰る Uti e kaeru.

 ローマ字で、ことばなり、文なりを書き表わすのは、かな文字によって書き表わす個々の音節を一つずつ、ローマ字に翻字したものを組み合わせていくのではないのです。ローマ字文の書き方には、ローマ字文として独立した書き表わし方の約束・体系があって、それに従って書かなければなりません。
 この点をよくのみこんで指導にあたられれば、現代かなづかいとローマ字との書き表わし方が合致していないことから、ひき起すかもしれないといわれている混乱は、じゅうぶんに防ぐことができましょう。

 1945年以前は、正仮名遣ひでした。それに対して、ローマ字は表音表記を独自に発展させてゐました。したがって、ローマ字独自の表音的なつづりに意味がありました。ところが、1946年に『現代かなづかい*1』が答申されました。この仮名遣ひは正仮名遣ひに基づきながらも、表音的な要素を取り入れたもので、そこそこ使へる表音的な仮名遣ひです。この答申は1986年に『現代仮名遣い』に置き換へられましたが、本則や例外の解釈を変へただけで、基本的な運用規則は同じです。
 現代仮名遣ひで本当に表音的でない箇所は助詞の「は」「へ」ぐらゐです。「は」「へ」は仮名そのものは「ハ」「ヘ」と読みますが、助詞のときは「ワ」「エ」と読み分けます。一方、助詞の「を」と四つ仮名の「ぢ」「づ」は、仮名自体が「オ」「ジ」「ズ」と読まれてゐます。したがって、書くときは書き分ける必要がありますが、読むときに読み分ける必要はありません。そもそもローマ字の訓令第一表は「を」「ぢ」「づ」は「o」「zi」「zu」であり、「お」「じ」「ず」と同じです。書き分けの必要もありません。
 次に、オ段長音を「おう」と書きますが、これを「オー」と読まうが「オウ」と読まうが意味が異なる場合はほとんどありません。反例として「格子」と「子牛」がありますが、「格子」を「コーシ」でなく「コウシ」と読んでも、前後の文脈で意味を取り違へることはまづないでせう。
 ローマ字の場合、オ段長音は「ô」とつづります。ところが、記号「^」の部分は様々な事情により省略されてしまひます。それを防止するには、記号ではなく独立した英字でつづるのが確実です。その場合、現代仮名遣ひの規範に従ひ、ローマ字もオ段長音は「ou」とつづるのが最も混乱を防げます。では、「大きい」は「oukii」なのかといふ反論も来ますが、『現代かなづかい』では、「大きい」の「大」は長音ではなく、「オ・オ」のように同一母音の連呼となってゐます。だから、「ookii」でいいのです。なお、『現代仮名遣い』では、「大きい」の「大」は、オ段長音で読まうが、「オ」の連呼で読まうが、読み方に関係なく「おお」と書くことに解釈が変へられました。
 表音的なつづりは一つあれば十分で、現代仮名遣ひで実現したものを、わざわざローマ字で別の規範*2を実現する必要はありません。二重規範は教育上混乱をもたらします。