盆栽の規範、巨木を知らず

 相變はらず、この人たちは、虚構、虚構としか連呼できないのかな?もう少し現實を見たはうがいい。

『「歴史的仮名遣」が一種の虚構の存在であるならば、同様に、旧字体正字体)も、虚構でしかない。このことが分からずに、いたずらに、「旧字・旧仮名遣」にこだわる人が多いのは、どうしてであろうか。』

 まづ、正字正假名遣ひは虚構ぢゃないのだよ。虚構だったら、ネット上で、これほど多くの人が正字正假名遣ひを運用できるはずがない。
 今や、常用漢字のはうが「盆栽の規範」であったことが露呈したのだよ。たった2千字程度の漢字を自己滿足で整備して、しかも、當初の目論見では漢字を徐々に減らしていく豫定だった。さういふ場當たり的なものを基準にして、康煕字典5萬字を批判する。盆栽が巨木に喧嘩を賣ってゐるやうなものだ。巨木だから、一部は根腐れするだらうし、葉には蟲喰ひがある。枝振りにも不恰好な部分はあるだらう。しかし、巨木を支へるに足る強靭な幹がある。さういふ現實を見ずに、ひ弱な盆栽が、巨木の枝葉末節な缺點だけを針小棒大に取り上げて、虚構、虚構と連呼してゐる状況はむなしくないかい?
 ネットの時代になり、漢字は、常用漢字の統制から解放され、自由に使はれるやうになった。常用漢字といふ盆栽は地面に植ゑ替へられた。早晩、立ち枯れの危機だ。巨木と同じ土俵に上がって、今までのやうな虚勢が張れるのかな?
 文字コードは正直だ。ユニコードは、JIS83のやうな盆栽の規範など無視して、當初から康煕字典を第一資料として整備した。しかも、ユニコードの臺灣、韓國パートは、明治政府が整備した正字が元になってゐることを忘れてはなるまい。もはや正字の流れに逆らったら、文字コード常用漢字も擴張不可能である。