たとへ連体形でも

 正仮名遣ひネタなので直ぐに反応してしまふ。一応関連リンクを挙げておく。

「現行の国語辞典、それぞれスマヒ、ムカヒの音便ゆえ、スマウ、ムカウとすべき珍説を載せるが、その学的根拠を知らない。終止連体形による名詞法と見れば済むものを、回り道する必要はあるまい。」

 「ムコー」の仮名遣ひが「向かう」と「向かふ」とでどちらが適切かといふ話題だ。私は、この手の問題は各自が信ずる学説に従ってもらっていいと思ふので、一方を押し付け、もう一方を排除する気はないのだが、たとへ「ムコー」の出自が連体形の名詞用法であっても、「向かふ」→「向かう」といふウ音便が発生したといふ意味で、「向かう」の仮名遣ひは、依然として一定の説得力を持つと思ふ。それに、仮名遣ひは、語源を尊重すると共に、語を識別する機能もあるので、先人が、動詞「向かふ」、名詞「向かう」と書き分けてゐたものをわざわざ統合する必要もあるまい。また、仮名に囚はれると連用形音便説「向かひ」→「向かう」は一見奇妙に思へるが、実は、音便には子音が脱落するものと母音が脱落するものがあり、「弟(おとうと)」←「おとひと」、「妹(いもうと)」←「いもひと」などの母音脱落と併記すれば、以下のやうになった可能性も考へられる。

  • 「otofito」→「otofto」→「otouto」→「otôto」
  • 「imofito」→「imofto」→「imouto」→「imôto」
  • 「mukafi」→「mukaf」→「mukau」→「mukô」

 この母音脱落の音便は、子音脱落では説明できない現象を説明できる。例へば、「書きた」→「書いた」、「嗅ぎた」→「嗅いだ」で代表されるイ音便のあとの清濁の対立がその一つである。母音脱落で子音と接した「た」が、直前の清濁に引き摺られて「た」と「だ」とに分化したと説明できる。もっとも音便発生時の会話が録音されてゐないので確かめやうがないし、通説と俗説とで仮名遣ひが変はることもないので、深く追求しても仕方ない。
 ただ、たまにこのやうに仮名遣ひについて語源談義ができるのはまだ幸せなはうで、現代仮名遣ひの言ひ合ひなんて、「そのとうりです」といふ書き込みに「『そのとおり』だろ」と突っ込みが入っても、「私は『そ・の・と・う・り』と発音してるから、このままでいいんです。」といふ寒いやり取りになる。もちろんアカデミックゼロ。それを正す側も学校で習ったからといふ以上の説明はできない。仮名遣ひの拠り所が個人の発音だったり、学校で習ったからといふ次元ではお寒い限りだ。かうなると暗記主体の国語教育を思ひ出し不快になったり、お互ひのお国訛りを批判しはじめて、もう建設的な方向には向かない。

  • ※ 指摘があったので表現の修正、「正すはうも」→「それを正す側も」、その他の表現とタイポも文意が変はらない範囲で修正。