交ぜ書き批判

 交ぜ書き批判を記事で取り上げたことは評価できるが、書いてある内容が何か本質と違ふやうな気がする。交ぜ書き批判にとって、個々の漢字の意味などどうでも良い問題である。

  • 日本語の表記は漢字仮名交じり文を基本とし、概念を表す自立部は漢字で書き、文法関係を表す附属部は仮名で書く。

 上記が原則だと思ふ。概念を表す自立部とは、名詞、動詞、形容詞を指し、文法関係を表す附属部とは、助詞、助動詞を指す。接続詞、形式名詞、指示代名詞、補助用言、陳述副詞などは「文法関係を表す自立部」でグレーゾーンに位置するが、この部分を漢字で書くか仮名で書くかは書き手に委ねてもよいであらう。無論、漢字で書き表せない自立語も存在するので、その部分は仮名で書くしか仕方あるまい。
 その意味で産経の記事から表記の哲学が全く伝はってこない。どうしても「子供」の「供」が嫌ならば、「こども」のやうに全て平仮名で書いた方が良いし、「障がい者」を避ける意味では「障害者」でも「障碍者」でも「障礙者」でもどれでも良い。交ぜ書きを解消してから「害」「碍」「礙」の是非について議論が始まる。記事にあるやうに「供」「ども」「害」「がい」そのものの意味的是非を持ち出すのは交ぜ書き批判にはならない。「ども」「がい」の方が良いと言い張られたら、それ以上、反論ができなくなる。