字音假名遣ひの微妙な立場

先日「役立ちさうもない一覽表」を紹介したが、なぜ、さう思ったか?それは、まづ、あの表を見ても、「一字づつ覺えよう」といふ結論しか出ないからだ。一部、形聲文字の聲符が使へさうな氣もするが、例へば、聲符「寺」などは「ジ」「ヂ」の兩方が存在してをり、役立たない場合もあるから過度の期待は持てない。

しかし、それよりも大きな矛盾がある。先日紹介したのは常用漢字だが、そもそも常用漢字は假名書きする必要性がないから、假名遣ひが表面に出ることがないといふ矛盾だ。常用漢字表の贊否に係はらず、これらの漢字使用に文句を言ふ人はゐない。

いはゆる政令遵守派、官廳、マスコミは、當然常用漢字を使ふ。表音主義者の一部には、漢字の訓讀みを否定する人もゐるが、音讀みまでは假名書きしない。漢字廢止論者ですら實際の文章では漢字を使ふ。となると、字音假名遣ひが必要になる状況は、主に次の三つである。IME入力と振り假名と小學校教科書だ。

まづ、IME入力は、先日の日記(d:id:ziom:20071026#p1 )で紹介した辭書の「假見出し」と「本見出し」に準ずれば良いだらう。「本見出し」は字音假名遣ひで良いとして、「假見出し」は、現代假名遣ひでも棒引き假名遣ひでも良いから利便性を加味して決めておけばよい。IMEに使はれる假名遣ひは、漢字をIME辭書から效率良く引き出すためのものであり、最終結果はあくまでも變換された漢字だ。

次に、振り假名の場合、元々、執筆者が原稿用紙の漢字全部に振り假名を振るやうなことはしなかった。專門のルビ付け職人が付けてゐた。當然ながら、ルビ付け職人は正しい字音假名遣ひの知識があった。現代に當てはめれば、それは、コンピュータの仕事だ。餘談だが、はてな日記も、ケバケバしい段落配置用スタイルシートを提供する餘裕があるのなら、自動ルビ付けサービスを提供してほしい。コンピュータ資源をもっと有效活用すべきだ。

最後に、小學校教科書だが、これも基本的に振り假名に準ずる問題だ。低學年の教科書では大和言葉が多いから、習ってゐない漢字の訓讀みを假名書きすれば、そんなに漢字を使はないだらう。音讀みの漢字熟語を使ふときは、交ぜ書きせずに、字音假名遣ひで振り假名を付けると良い。

といふ點から、字音假名遣ひを完璧に習得しなくても、正字正假名遣ひは實踐可能であるし、以前のやうに、專門のルビ付け職人(今で言へば、自動ルビ付けサービス)を活用できれば、おのづと字音假名遣ひを覺えていくものだ。