正仮名遣ひと現代仮名遣ひの境目

(2021/01/05) (正カナ)

 ローマ字文の理論を広く伝へるために、今後ローマ字関連の記事は現代仮名遣ひで書くこと*1にしてゐます。実のところ正仮名遣ひに慣れてしまふと、今現在読んでゐる文書が正仮名遣ひなのか現代仮名遣ひなのか意識に上ることはありません。現代仮名遣ひを読むことしか経験がない読者にとっては、使用頻度が高い「ゐる」「いふ」「やう」「だつた」「でせう」といふ仮名遣ひの表現に違和感を覚えるでせうが、それ以外の大半の文章は同じ漢字と仮名なので、これらの表現に慣れてしまふと違ひが意識に上らなくなります。
 例として日本国憲法前文の一節を挙げます。日本国憲法は、制定時に現代仮名遣ひがまだ定められてゐなかったので、正仮名遣ひ文で書かれてゐます。しかも、制定後に改憲がないので、皮肉にも正仮名遣ひ文で書かれた最後の公文書になります。

現代仮名遣ひの写本

 われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。

正仮名遣ひの原本

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

(参考)ローマ字文*2

  Warera wa, izure no Kokka mo, Jikoku no koto nomi ni Sennen shite Takoku wo Mushi shite wa naranai no de atte, Seiji-Doutoku no Housoku wa, Fuhen-teki na mono de ari, kono Housoku ni shitagau koto wa, Jikoku no Shuken wo Iji shi, Takoku to Taitou-Kankei ni tatou to suru Kakkoku no Sekimu de aru to shin-zuru.